毎月第二木曜日の10時~川崎・武蔵新城の灯台屋さんで開催させて頂いている
「バガヴァッド・ギーターを読む会」という会があります。
これは、わたしのライフワークとも言えるような活動だったりします
大体6~7人で、聖典を一節ごとに朗読し、
資料にもとづいて解説をしていきます。
そこから得た気づき、ひらめき、思いだされた記憶等々…
その都度、フランクにシェアをしあい、深めて行く…そんな流れの気のおけない会です。
今月は12(木)に読み会でした。
ご参加くださった占い師のマダム尋子さんが
いつものようにご感想を書いてくださいました!わーい
こちらでご紹介させていただきますね。
尋子先生、いつもありがとうございます!
マダム・尋子先生の記事はコチラ↓
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尋子さんの記事にある、「サットワ・ラジャス・タマス」というのは
この世界を創り出している三種のエネルギー(トリグナ)のこと。
この考え方は、インドの古い哲学体系であるサーンキャ哲学からきています。
サーンキャでは
この地球の自然も、この星に生きるあらゆる生物も
地球自体も宇宙の星々も…
あらゆるものも同じもので出来ていると説明しています。
???
かもしれませんね!
人間だけに焦点を絞ってみましょうか。
あなたは自分のことを「わたし」という。
それは一体誰ですか?
何を指しているのですか?
カラダですか?
それとも心ですか?
意識ですか?
サーンキャは言います。
カラダもココロもすべては同じ材料でできているのだと。
とかく、わたしたちは、見えないものとして心を重視する傾向がありますが
ココロもカラダも同じだよと言うのです。
じゃあ、「わたし」って何なのでしょう。
魂…
あるいはエネルギー…
そして、それは全宇宙の源であるブラフマンと同じであると。
時間も空間も形もありません。
あらゆるものが変化し続けるこの宇宙の中で
唯一変化をしない普遍の存在。
それがブラフマン。
はじまりもなく、おわりもなく、ただ在る…。
「それ」です。
ものすごーく抽象的です。
それを何と表現するのか。
かろうじてブラフマンとかプルシャとか、いろいろ言葉を当てはめることができますが
実は誰もそれについて語ることはできません。
なぜなら、今カラダを持って存在している誰もが、それを知らないからです(笑。
なので、インド哲学では
その普遍の存在のことを「それ」と表現します。
「それ」とか「あれ」とか、代名詞でしか表現できないんですよね。
…って長くなりましたが、このへんで。
尋子せんせのブログにある「ティンシャ」というのはコレ。
長年愛用しているお気に入りです。
美しい倍音が響きます…♪↓
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